2013年6月11日火曜日

特定農薬 2

 前回は、食酢を特定農薬に指定したのは、2002年の改正農薬取締法だというお話をしました。食酢の使用が、作物や人間、あるいは環境にほんの少しでも悪い影響を与えるということが明らかになったというなら、それも仕方のないことかもしれません。
 けれど、実際にはそういう話ではまったくありませんでした。
 まず公式な説明を見てみましょう。
 農林水産省は以下のように説明しています。

「改正農薬取締法では、新たに無登録農薬の製造や使用を禁止したため、農作物の防除に使う薬剤や天敵で、安全性が明らかなものにまで農薬登録を義務付ける過剰規制とならないように、特定農薬という仕組みを作りました。無登録農薬を禁止するために必要な制度上の仕組みであり、新たな規制を持ち込むものではありません。なお、この制度の趣旨を分かりやすくするために、特定農薬を「特定防除資材」と呼ぶこともあります」
(http://www.maff.go.jp/j/nouyaku/n_tokutei/about_tokutei.htmlより抜粋)

 2002年の農薬取締法の改正は、大きな改正でした。上の説明にもあるように、登録されていない農薬の、製造、販売、そして使用が禁止されました。この法改正にともない、安全性があきらかなものにまで農薬登録を義務づける過剰規制とならないように、必要な措置として特定農薬という枠組みがつくられた、というのが農水省の説明です。
 特定農薬は、改正農薬取締法第2条第1項で次のように定義されています。
「その原材料に照らし農作物等、人畜及び水産動植物に害を及ぼすおそれがないことが明らかなものとして農林水産大臣及び環境大臣が指定する農薬」

 余分なものを取り去ってしまうと、この条文は、こう言っているわけです。
「農作物や人畜、環境に害をおよぼすおそれがあきらかにない農薬を、特定農薬に指定する」
 つまりあきらかに安全な農薬を、特定農薬とするというわけです。
 なんかおかしいですよね。
 明らかに安全なら、なぜそれを農薬としたのか。
 そもそも農薬取締法が制定されたのは、農薬が人間や動物に悪影響を与える恐れがあるからなわけです。必ずしも安全じゃないから、取り締まるわけです。
 特定農薬とはつまり、明らかに安全だから、自由に使っていいですよ。ただしそれを農薬の仲間に入れますよ、という話なわけです。
 何のために、そんなことをするのでしょう。
 この法律の出来る前は、誰も食酢を農薬などとは思っていなかったのです。
 けれどこの法律の施行以後、食酢は特定農薬ということにされてしまったのです。

 当然のことながら、食酢を使って無農薬栽培をしていた農家の方達は大反発しました。そんな法律が出来たら、自分たちの栽培している作物を、無農薬とは言えなくなってしまうじゃないかと。農水省まで出かけていって、担当のお役人と談判した人たちも少なからずいました。
 そういう反論に対して、たとえばその当時の農水省の農薬対策室課長補佐は、こう答えています。

『食品表示については有機JASのガイドラインがありますが、食品由来の農薬や資材が使われることになっていて、もし特定農薬が指定されても有機JASのガイドラインとは整合性をとることになっている。使っていい農薬の中に特定農薬も入ることになる。例えば食酢が特定農薬に指定されて、食酢を使ったものの認証をする場合、今まで通り「無農薬」という表示ができます』
(改正農薬取締法に関する農林省との質疑応答より抜粋。日時:2003年1月22日 場所:衆議院第2会館、山本明彦議員事務所 質問者:稲葉光圀(NPO法人民間稲作研究所) 姫野祐子(NPO法人日本自然農業協会) 森田通夫(大栄株式会社)、山本明彦議員他同席 回答者:農水省生産局生産資材課農薬対策室課長補佐 田雑(たぞう)征治
http://www91.sakura.ne.jp/~yama-bin/tokuteinouyaku.htmより抜粋)

 作物の栽培に特定農薬を使用しても、『無農薬』と表示していいというわけです。
 農水省のお役人にそこまで言われれば、農家の側としても、完全に納得できるわけではないにしても、この法改正を受け入れるしかなかったのです。2002年12月に国会を通過した改正農薬取締法が施行されたのは、翌2003年3月のことでした。

 それからまだ10年しか経っていません。
 にもかかわらず、当時の無農薬栽培の農家の方達が心配していたことが、現実になりつつあります。
 いわく「特定農薬といっても、農薬の一種なのだから、そんなものを使って栽培した作物を無農薬と称するのは間違っている」という主張です。
 2002年の改正農薬取締法の成立過程を知っていたら、とてもそんなことは言えないはずなのですが、わずか10年で、そういうことを言い出す人が出てくる。
 やっぱり、特定農薬についてはもっと反対しておくべきだった。

 ここまで特定農薬のことをお話ししてきましたが、大事な前提が抜けていました。
 どんなものが特定農薬に指定されたかご存じですか?
 原材料から考えて、害を及ぼすおそれがないことが明らかなものって何でしょう。
 実を言えば2002年の農薬取締法の改正に向けて、様々な資材が特定農薬の候補となりました。農水省の説明によると、特定農薬候補の資材として全国から2900件の情報が寄せられたそうです。この2900件の中で重複しているものなどを整理して、最終的には740種の資材が特定農薬の候補として検討対象になりました。
 有名な話ですが、その特定農薬候補の中には、水とかお湯とか太陽熱とか、ウシとか鯉とか、ちょっと信じられないようなものまでありました。
 水田の深水管理のように水を使って雑草を防除したり、太陽熱で病害虫を殺菌することは可能なわけです。ウシや鯉も、雑草の除去に役立つから、特定農薬と認められるのではないかというわけです。
 さすがに水や太陽熱やウシや鯉が、特定農薬に指定されることはありませんでした。
 というよりも740種にまで絞り込まれた候補のほとんどが、特定農薬に指定されることはありませんでした。
 大山鳴動してネズミ一匹。いや、三匹。
 740の候補から、特定農薬に指定されたのは、たったの3つだけでした。
 食酢と重曹と、地場の天敵です。
 この事実だけを考えても、特定農薬という制度にはたして意味があるのか、首をひねらざるを得ません。重曹や農薬を使って、できるだけ安全に作物を育てていた農家をいじめるだけの意味しかなかった、と言ったら言いすぎでしょうか。

 さて、食酢と重曹がどんなものかはご存じだと思います。
 もうひとつの「地場の天敵」って、何だと思いますか?
 地場とは、その土地に生息しているということです(法律上は、その土地の所属する都道府県内と定義されています)。天敵とは、農作物の害虫の天敵ということです。これも農薬取締法上は、昆虫綱およびクモ綱に属する動物で、なおかつ人畜に有害な毒素を生産しないものと定められています。生物学的に天敵といえばほ乳類や鳥類も含みますが、農薬取締法上はそういうものは天敵に含めないということですね。
 わかりやすく言えば、テントウムシとか寄生蜂などのような昆虫です。
 それなら明らかに安全だから、『農薬として』使っていいというわけです。
 単に天敵ではなく、『地場の天敵』としたのは、地場でない天敵、すなわちよその地域から持ち込まれた天敵は、特定農薬ではなく、登録の必要な農薬であるということです。他の地域から持ち込まれた昆虫やクモは、その土地の生態系に悪影響を与える可能性がありますから、確かに無条件に安全とは言えません。そういう意味では、地場の天敵だけを特定農薬に指定したのは筋が通っていると思います。
 けれどそれにしても、昆虫を農薬と呼ぶことにはどうしても違和感を感じます。

 食酢を使って育てた作物を、特定農薬を使っているのだから無農薬というのは間違いだというなら、テントウムシや寄生蜂が飛んできて、その作物についた害虫を食べたり、あるいは卵を産んだりしたら、その作物も無農薬とは言えないということになるはずです。
 であるならば、この日本で栽培されている作物は、すべて『農薬』を使用した作物である可能性があるということです。地場の天敵なら、どこにでも存在しますから。テントウムシが1匹飛んできて、作物についたアブラムシを食べたら、それはもう『農薬』を使用したということなわけです。

 要するに、特定農薬という仕組みが作られたのは、お酢とか重曹とか、無害なことが明らかなものまで『農薬』というカテゴリーに含めることによって、農薬というものに対する消費者のイメージを変えることが目的だったのだと思います。
「スーパーで売っている食酢だって”農薬”の一種なのだから、”農薬”を過剰に恐れる必要はない」と言いたかったのでしょう。

 確かに、よく考えてみれば、ひとくちに農薬と言っても様々です。
 その様々な農薬を、十把一絡げにして、「農薬はカラダに悪い」とか「環境に悪影響を及ぼす」と言ってしまうのは間違った態度だと思います。食酢の特定農薬の指定は、そういう世間の風潮へ投げた一石でもあったのかもしれません。

 そこまではわかるのですが、それでもやっぱり特定農薬という枠組みを作ったのは間違いだったと思います。農水省が説明するように『過剰規制』を避けることが目的なら、それを特定農薬と呼ぶべきではなかった。
 そんなことをするから、明らかに安全だと法的にも認められたはずの食酢や重曹を使って作物を育てている人に対して、「特定農薬を使っているのに無農薬と称するのは間違いだ」というような、バッシングが生まれてしまうのです。

 何回も繰り返しますが、食酢や重曹が特定農薬に指定されたのは、それを使って作物を栽培すると何らかの害があることが発見されたからではありません。「農作物や人畜に害を与えないことが明らかだから」という理由で、特定農薬に指定されたのです。
 それは、言葉をもてあそぶ、とても危険な行為だと思います。

 食酢、農薬、それから地場の天敵に関しては、特定農薬という呼称をやめて、特定防除資材という呼称に一本化すべきです。農薬に対する世間の偏見を払拭するためにも、農薬の定義を、きちんとしなおした方がいい。
 農薬取締法をもう一度改正して、特定農薬という呼称を廃すべきだと私は考えています。